平成21年2月定例会 一般質問並びに答弁

自由民主党広島県議会議員会 石橋良三

質問項目一覧

 1.【前文】
 2.【改正教育基本法の理念の徹底と検証について】
 3.【是正指導以降の教育改革の総括と今後の本県教育の発展について】
 4.【部落解放研究全国集会について】
 5.【教育改革に向けた知事の認識について】
 6.【結び】


資料

平成21年2月定例会一般質問要旨全文(PDF)
平成21年2月定例会答弁実録(PDF)



質問並びに答弁

1.【前文】

 皆さん、こんにちは。
 私は、自由民主党広島県議会議員会の石橋良三でございます。

 本県教育が文部省の異例の是正指導を受けてから十年が経過しました。この間、新しい教育基本法が成立し、我が国の伝統と文化に基づいた教育、公共の精神、道徳心の育成、愛国心の涵養が教育目標として盛り込まれました。
 今、求められているのは、我が国本来の教育を取り戻し、誇りある日本を力強く支えてゆく子供たちの育成であります。
 昨年秋から世界を覆っている極めて深刻な恐慌は、我が国の隅々までその影を落とし、今なお急激な勢いで進行しているにも拘らず、国としては未だに有効な対策が講じられていないのであります。
 西郷隆盛は、遺訓の中で、国家の中枢を担う政治家の最も重要な仕事は「大きな方向を定める」ことにあると喝破しています。しかし、現在我が国にはそのような政治家は誠に少なく、何よりもその根底において精神的な脆弱さが際立っているのであります。
 そのことを最も端的に示したのが、昨年十一月に起った、航空幕僚長であられた田母神俊雄氏の更迭劇でありました。
 
 民間の懸賞論文に応募され、最優秀賞に選ばれた「日本は侵略国家だったのか」との論文は、最新の研究をも取り入れて書かれたものでありました。
 田母神氏が真に訴えたかった事は「日本は古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国であり、私たち日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。」ということでありました。一言で言えば「日本はいい国だ」ということであります。
 田母神氏は、「日本はいい国だ」と主張して更迭されました。
 では「日本は悪い国だ」と言い続ければよいのか、おかしいではないか、日本人よ、誇りを取り戻そうではないか、と訴えられたのであります。
 田母神氏は現在、全国各地で講演に呼ばれています。先般も広島市において開催された時局講演会に招かれ、私も拝聴して参りました。
 軽妙洒脱な語り口の中に、凛とした武人の魂を潜め、現在我が国の防衛がおかれている危機について、特に、「歴史を抹殺され」「愛国心が蔑ろにされ」ている現実を厳しく批判されたのであります。
 田母神氏は、「職務に関する機密」を書いた訳ではなく、あくまでも田母神氏自身からみた一般的な歴史認識の論文を書かれたのであります。
 それがいわゆる政府見解とされる「村山談話」に反したものである、というただそれだけの理由で、更迭までされたのであります。
 「村山談話」は確かに「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」としていますが、世界のどこの国でも歴史には暗い面があるのであり、半世紀以上も前のことを未だに自虐的に謝罪し続けている国などどこにもないのであります。
 そもそも政治が、それも一時期の政権が、歴史そのものの善悪を決めることなど出来るはずがないのであります。
 「村山談話」は正に、「政治が歴史を決定する」という愚行であったと言わざるを得ないのであります。
 更に言えば、安倍内閣は、「侵略」の定義は国際的に定まっていないこと、また「村山談話」は、具体的な史実を特定したものではないことを、政府として確認しているのであります。
 ところが、その何の中身もない「村山談話」に基づいて、政府も与党も野党もマスコミも、全てが大政翼賛体制のように一致団結して、たった一人の田母神氏を攻撃し、国会の参考人質疑ではテレビ局は放映せず、密室における言論弾圧が国会の中で行われたのであります。
 その中でただ一人、凛として自己の正しかるべき信念を堂々と貫いた田母神氏を、声なき声の国民は支持したのであります。全国どこの講演会会場でも溢れんばかりの聴衆が押しかけ、田母神氏の声を聴こうと集まっているのであります。
 複数のアンケートでも常に六割から七割の支持が田母神氏に集まっているのであります。
 これは、国民が、誇りなき政府・国会・マスコミに対して、NOを突きつけたということであり、凛とした誇りある日本人の姿を体現した田母神氏を通じて、歪められた戦後の歴史認識の呪縛から抜け出そうとする国民の切々たる声なのであります。
 私もその思いを共にする一人として、質問に入らせて頂きます。



2.【改正教育基本法の理念の徹底と検証について】

 改めて、我が国における教育を振り返ってみますと、終戦を契機に新しい日本を建設するため、国政全般にわたっての大きな改革が行われる中にあって、日本の再建には、教育が根幹をなすものであるとの考えのもと、昭和二十二年、新しい教育の基本を示す「教育基本法」が制定されたのであります。
 しかしながら、この「教育基本法」なるものは、敗戦後、占領軍の圧政のもとに作られたものであり、「愛国心」や「宗教的情操教育の涵養」などの、「伝統的価値観」が否定されていたのであります。
 それから戦後六十年もの長きにわたって、我が国教育の基礎とされ、その結果、我が国の伝統や文化を育むことの重要性が失われてきたと言わざるを得ないのであります。
 私は、かねてから、日本人の手による新しい教育基本法のもとで、新しい教育制度を作り上げていかなければならないと主張して参りましたが、平成十八年十二月、安倍内閣のもとで、「公共の精神」の尊重、「豊かな人間性と創造性」や「伝統と文化の継承」を掲げ、これからの教育のあるべき姿、目指すべき理念を示した改正教育基本法が制定され、新たな第一歩が踏み出されたのであります。
 また、この法律に基づく教育振興基本計画も策定され、伝統を重んじ、国と郷土を愛し、道徳を身につけ、公のために尽くす国民を育成するという「教育の目標」の達成に向けて、小学校・中学校の学習指導要領の改訂も行われたのであります。
 ようやく訪れた、新しい時代の教育の幕開け、我が国教育の大転換期にあると言っても過言ではないのであります。
 私は、この新しい時代の幕開けに相応しく、教育基本法の理念を叶えるであろうと思える行事が、この広島の地にあることを見、あるいは聞くに及び、大変に心を打たれ感動いたしましたので、このことを是非ともご紹介させていただきたいと思います。

 尾道市では、市内二十校、全ての中学校から、約三千七百人が一堂に集まり、スポーツフェスティバルを開催しておりますが、開会式では、各学校の吹奏楽部による演奏の中、まさに凛々しくも整然として、隊列を乱すことなく、一心不乱に入場行進をしてくる姿の中に、中学生の規律ある素晴らしい姿、態度を目の当たりにしたのであります。
 そして、生徒代表による「ふるさと尾道を愛する心と、誇りを胸に、日々自分を、そしてお互いを高めるために、努力を続けてまいります。」との宣誓を聞き、大変に心を打たれたのであります。

 また、同じ尾道市では、先月、立志式が行われたと聞いております。
 武士社会で行われていた元服の儀にちなんでいるとも、あるいは論語にある「吾十有五にして學に志す」に由来するとも言われている「立志式」が誠に厳粛な中で行われ、その中で、生徒代表が「誓いの言葉」を述べるのであります。
 「私たち十四歳は、生まれてくるはるか古から連綿と続く歴史と伝統の上に、現在の自分があるということに畏敬の念を抱き、自らの存在の尊厳を自覚いたします。」
 この言葉こそが、改正教育基本法における、まさに求めるべき子供達の姿であり、このような心を育むことが教育の要諦なのであります。

 もう一つは、呉市立呉高等学校であります。
 呉市では、日中戦争から太平洋戦争にかけて亡くなられた一万七千柱の英霊を偲ぶ、呉市戦没者戦災死者、及び旧呉鎮守府管内非戦闘員殉職者合同慰霊式が行われておりますが、昨年、この式典に呉市立呉高校一年生百六十名が初めて参加したのであります。
 遺族の方々とともに、菊の花を手向ける中、生徒代表が「一人ひとり感謝の気持ちを忘れることなく、日本・呉のために努力します。」と平和の言葉を述べるのであります。
 公立高校としては、全国でも例がない英霊を偲ぶ慰霊式に出席した子供たちの、今では忘れ去られたかに思われた、戦没者への感謝の心、我が国と郷土を愛する態度に感動を覚えたのであります。
 こうした行事が実施できる教育環境を創造されたのは、市、市教育委員会、学校、あるいは、それを支援されてきた関係者の並々ならぬご努力の成果であり、心から敬意を表すると同時に、本県においてこうした行事ができるということは、隔世の感があり、県民の一人として大いに誇らしく感じるところでもあります。

 我々は、この改正教育基本法の精神に則り、新しい時代にふさわしい教育を力強く、総力を挙げて、さらなる前進を図ることにより、戦後六十年間に失われた大切なものを再び甦らせなければならないのであり、ましてや学校教職員は、当然のことながら、その一人ひとりが教育の理念というものを自らの信念とし、これを実践していかなければならないのであります。
 私は、改正された教育基本法、これに基づいて策定された教育振興基本計画、あるいは教育三法の改正、さらには改訂された学習指導要領、これらの理念などを活かした教育実践が重要であり、県教育委員会はこれを実現するための諸施策を展開しなければならないのであります。
 あわせて、こうした理念に基づく施策を定着させるためには、教職員に対して理念を徹底させるとともに、取り組みの状況を常に検証することが必要であると考えます。

 そこで、第一の質問は、改正教育基本法などの理念を実現させるため、どのように施策を展開されていくのか、また、これを教職員にどのように徹底し、さらには、教育現場での取り組みをどのように検証されるのか、教育長のご所見をお伺いいたします。



「教育長答弁」

 改正教育基本法では,新たに「幅広い知識と教養を身に付け,豊かな情操と道徳心を培い,健やかな身体を養うこと」や「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛すること」などの教育の目標が規定されたところでございます。
 これを受け改訂された新学習指導要領では,確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視するとともに,伝統や文化に関する教育や道徳教育等の充実が求められております。 
 このため,教育委員会といたしましては,学力の一層の定着・向上を図るとともに,豊かな心をはぐくむ体験活動を推進するなど,「知・徳・体」のバランスのとれた基礎・基本を徹底する取組を進めて参ります。
 また,新学習指導要領の趣旨を全ての教員に徹底するため,研修資料を作成し全ての学校に配布するとともに,県内各地で周知のための講習会を開催しているところでございます。
 こうした取組を進めるとともに,「基礎・基本」定着状況調査や道徳教育推進状況調査等を通して,新学習指導要領の求める力を児童生徒に身に付けさせる取組が,各学校で着実に行われているかを把握・検証して参りたいと考えております。


3.【是正指導以降の教育改革の総括と今後の本県教育の発展について】

 さて、このように我が国の教育というものは、教育の大転換期にありますが、こうした中で我が県の教育を顧みますと、本県の教育の大改革というものは、平成十年、当時の文部省から受けた是正指導に始まると言えます。
 この是正指導以前の我が県の学校教育というものは、日の丸・君が代問題、主任制反対などを運動方針として掲げる教職員組合との対立から、本来の校長権限が制約され、あるいは一部の運動団体と連携する中で、いわゆる「同和教育基底論」に基づき、昭和六十年に交わされた「八者懇談会合意文書」により教育介入を許し、平成四年には「二・二八文書」により、当時の教育長が国旗・国歌を否定したのであります。
 こうした根深く、思想的な問題が長年にわたって教育現場を支配した、まさしく違法・不法な内輪の論理がまかり通る「呪縛」の世界という、全国でも例を見ない、今では信じられないような異常ともいえる学校現場の実態があったわけであります。

 この原因と責任の所在というものを省みるとき、一部の運動団体の政治的イデオロギーを中立公正であるべき学校現場に無理やり持ち込んできた教職員組合と、県教育委員会、各市町村教育委員会、そして各議会、並びに住民から選ばれた知事をはじめとする各自治体の長にあったと言わざるを得ないのであります。
 かつて「教育県広島」として全国に名を轟かせ、数々の偉大なる先人を送り出した我が県の姿は、極めて異常な、極めて不幸な時代にある中で、「荒廃した広島県教育」として名を轟かせることになっていったのであります。
 こうした実態は、全国の報道各紙が報じるところとなり、国の自由民主党教育問題連絡協議会においても、この問題への対応が議論され、さらには国会の場において取り上げられるまでになり、平成十一年三月十日の参議院予算委員会では、元首相である宮沢喜一大蔵大臣も「多数の人がリンチに遭い職を失うことがあったが、基本的に部落問題が関係するために世論の形成ができなかった。
自分も今まで果たし得なかったことに渾身の努力をしたい。」と悲痛な思いを吐露されたのであります。
 また、我が県議会においても、自由民主党が一体となって、この由々しき事態の打開に立ち上がっていったのであります。
 こうした中、これも極めて異例であったわけでありますが、平成十年五月、本県並びにこの問題の発端となった福山市の教育について、当時の文部省から、国旗掲揚・国歌斉唱、人権学習の内容、道徳の時間の名称とその指導内容などの教育内容関係、あるいは、主任の命課、職員会議の運営などの管理運営関係からなる十三項目にも及ぶ是正指導を受けたわけであります。

この是正指導からも、既に十年を経過するところとなりました。
 明日、二月二十八日は、元世羅高等学校の石川校長の命日であります。
十年前のこの日、翌日に晴れの卒業式を控えた県立世羅高校。ここで、石川校長は自ら尊い命を絶たれたのであります。是正指導を受けて教育の正常化に向けた取り組みが始まった矢先のことでありました。
学習指導要領に明記されている国旗掲揚、国歌斉唱の実施に向けて懸命に奔走されていた石川校長。しかし、そこには、これに反対する解放同盟、教職員組合との狭間に苦悩される石川校長の姿があったのであります。
法令・規則を遵守しようと懸命の努力とその心労、その中で自ら命を絶つといった痛恨の選択から、誰も守ってあげることができなかったのであります。
石川先生は残されたメモ書きの中に、「何が正しいのか分からない。能力がないのかもしれないが、自分の選ぶ道がどこにもない。」と、その苦悩を表されておりました。
そして、御遺族は、私に「人権を訴える人たちによって、主人の人権は奪われました。許すことはできません。」と語られたのであります。
石川先生だけではありません。それまでも十九名の校長をはじめとした教育関係者が、自ら命を絶たれておりますし、その後も平成十五年三月には、民間企業から小学校長に転身された、高須小学校の慶徳校長が、その後には、尾道市教育委員会の山岡教育次長が自ら命を絶たれるなど、異常な事態が続いていたのであります。
そういった数々の取り返しのつかない犠牲を払う中で、国においては平成十一年、国旗国歌法が制定され、本県においても、平成十三年には、県議会において「ひろしま教育の日を定める条例」を全会一致をもって制定したところであり、教育関係者をはじめとした、あらゆる方々の血のにじむようなご努力、さらには、県民の支持のもとにあって、今日の信頼される公教育の確立、教育改革の前進に取り組める体制が芽吹いてきたのだと思うのであります。

 この十年間の本県の教育改革というものを私なりに振り返ってみますと、教職員組合の掲げる「平等」という思想、この思想のもとで一切の競争原理が否定され、四十年以上にもわたって実施されてきた高等学校の総合選抜制度も廃止され、そして是正指導を経るなかで、県教育委員会、各学校長がリーダーシップを発揮し、かつてはタブー視されてきた各学校の個性化、多様化の実現を目指す取り組みが始まったのであります。
 さらに、平成十三年度には高等学校に「学力向上重点校」二十校を指定し、これが平成十五年度には「進学指導拠点校」五校、「進学指導重点校」十五校を指定することにより、県立学校全体の先導的役割を果たすという取り組みに進んでいったのであります。
 かつては、決してできることのなかった習熟度別授業も、今ではほとんどの学校で実施されるようになっているのであります。
本県独自に実施しております「基礎・基本」定着状況調査、昨年度から実施されている「全国学力テスト」の結果を見ましても、本県の小学校・中学校における学力は概ね定着してきていると受け止めておりますし、大学進学につきましても、平成十二年の国公立大学の現役合格者が千五百五十六人であったものが、昨年は二千六百四十七人と、千人を超えて大きく伸びております。
 しかしながら、私の脳裏には一抹の不安がつのるのであります。
是正指導から既に十年を経た今、この本県の教育正常化への取り組みが、過去のものとなっているのではないかということであります。
時代も流れ、教育関係者も世代交代をしていく、こうした中で、かつての厳しい教育環境を知る人も少なくなっていき、多くの犠牲のもとに本県教育の正常化が、血のにじむような関係各位の努力によって行われている、未だ教育正常化への取り組みは途半ばであるということを忘れ、緊張の緩みが少しずつ教育現場に蔓延しているのではないか、そうしたことを危惧しているのは私一人ではないと思うのであります。
 教育職員の懲戒処分件数をみても、是正指導を受けた平成十年度には二十一件、これが昨年度には四十一件にも増えており、これなどは、緊張の緩みの表れではないかと思えるのであります。
 この是正指導に立ち向かってきた本県教育改革の取り組みは、信頼される公教育、教育の中立性を考えるときに、ひとつの歴史的事実として、常に生きた教科書となり、時に触れて顧みることにより、改めて襟を正し、箍を締めるといったことを忘れてはならないのであります。
 昨年の教育委員会制度発足六十年、あるいは本県の是正指導から十年という節目、さらには教育基本法の改正にみられる教育の大転換期であるからこそ、すべての教育関係者が、是正指導の原点に立ち返る絶好の機会であります。
 そして、あの是正指導からの取り組みを忘れないことが、本県のさらなる教育改革の推進に欠かせないものであると考えるのであります。

 そこで、質問の第二としてお伺いしたいのは、是正指導を受けてからの十年という節目にあって、この間の教育改革に向けた取り組みを、どのように総括されているのか、さらには、この歴史的事実を今後の本県教育の発展にどのように活かしていこうとされているのか、教育長の御所見をお伺いします。



「教育長答弁」

本県教育は,平成10年,当時の文部省から是正指導を受け,以来,教育の中立性と公開性を柱に,県民から信頼される公教育の実現に向け,様々な改革・改善に取り組んで参りました。
具体的には,校長権限の確立や主任制の機能化が図られるとともに,卒業式・入学式における国旗掲揚,国歌斉唱が適正に行われるなど,文部省から受けた指摘事項の是正を成し遂げたところでございます。
さらに,「学校評価制度」や「新たな人事評価制度」の導入など,教育改革のための「仕組みづくり」を進めるとともに,「基礎・基本」定着状況調査や「ことばの教育」など「教育の中身づくり」にも重点を置いて取り組んで参りました。
その結果,全体として公教育の基盤が整うとともに,「全国学力・学習状況調査」に見られる基礎学力の定着や暴力行為の発生件数の減少,さらには,道徳教育の改善・充実が図られるなど,教育内容の面でも着実に成果が表れております。
教育委員会といたしましては,全国的にも異例の是正指導を受けたということを決して風化させることなく,今後とも教育の中立性と公開性を堅持し,県民総参加による教育改革に全力で取り組んで参ります。


4.【部落解放研究全国集会について】

 ここで改めてご紹介申し上げたい一つの歴史的事実があります。
我が会派、福山市選出の川上議員は、平成十五年の地元新聞でのインタビュー取材の中で、議員自身が一番力を入れて取り組んできたこととして、「規律が乱れ、学力が全国最低レベルまで落ちて荒廃し切っていた広島県の教育の是正である。」、「自民党の県議会議員全員で力を合わせ、問題の八者合意もなくしたし、辰野教育長を中心に県教委が改革に乗り出して、三年で他県並みの高校教育に戻した。」、さらに、「小・中学校の一番の問題は、人事権を八者合意に基づき部落解放同盟が支配する組合が握っていたことであるが、教育委員会の人事刷新により組合から人事権を取り戻して正常化した。」と語り、記事になったものであります。
この川上議員のインタビュー記事というものは、まさに、我が自由民主党が一体となって取り組んできた事実なのであります。
しかしながら、こともあろうに、広島県高等学校教職員組合、広島県教職員組合、さらに、部落解放同盟福山市協議会は、事実無根であり、名誉を傷つけられたとして、川上議員に対する訴えを提訴したのであります。
しかしながら、川上議員の信念を持った裁判は、「校長権限が制約されるなど、被告には原告を批判する報道や意見を信じる理由があった。」と指摘した上で、「県教育の是正について県議としての実績を訴えたり、公益を図る内容の記事であり、名誉毀損には当たらない」とする高裁の判決が下ったのであります。
 私は、この判決というものは、今までの教育関係者、県議会が行ってきた取り組みを正当化する重い判決であると考えますし、裁判の中で一貫した主張を繰り広げた川上議員の勇気と、この間の努力に深甚なる敬意を表すものであります。

 この判決から二年半あまり経った今、かつての一部運動団体の思想というものが、再び頭をもたげつつあるという現実を指摘しておきたいのであります。
 一つは、福山市の社会教育センターでは、市教育委員会の主催する「ふくやま人権大学」が開催されております。
この中で、かつて八者合意文書により教育介入を許してきた、あの部落解放同盟広島県連合会顧問が「学力・人間力の向上に取り組んだ同和教育」など、先月、三回にわたって講演を行っているのであります。

 もう一つでありますが、本年十月には全国同和教育研究協議会や部落解放同盟などで構成する実行委員会主催の「部落解放研究全国集会」が、三日間の日程で、この福山の地において開催されるとのことであります。
昨年の宮崎で開催された全国集会、その会場となったのは公共施設であります。しかも、その会場のひとつとしてあるのは、公立小学校の体育館であります。
このこともさることながら、この集会の現地実行委員会というものは、
部落解放同盟、教職員組合、人権・同和教育研究協議会などと並んで、宮崎県、宮崎県教育委員会、宮崎市、宮崎市教育委員会が構成団体として参画しているのであります。
まさに忘れかけていた、本県での「部落解放県政樹立広島県民研究集会」を思い出させるのであります。
 広島県の教育を地の底までおとしめた「同和教育基底論」の危険性というものを、教育関係者、さらには福山市民も決して忘れることができない中で行われるこの集会は、過去の広島県教育の実態を髣髴させるといった不安にかられてしまうのは、私一人ではないと思うのであります。

 そこで、質問の第三といたしまして、本年十月に福山市で開催される全国集会、この開催に対して、実行委員会の一員として加わるであるとか、県立学校施設を会場として使用させるといったことは、これまでに築き上げてきた、信頼される公教育の確立といったことからは、到底、考える余地もないところでありますが、あえて、この集会の開催に対する県教育委員会の基本的な認識と、開催地である福山市教育委員会の対応をどのように把握されているのか、その上でどのように指導していこうとされるのか、教育長のご所見をお伺いいたします。


「教育長答弁」

中立・公正の原則が厳しく求められる公教育の場にあっては,教育と政治運動,社会運動,労働運動とは明確に区別されるべきものであり,是正指導以降,いわゆる「教育介入」の排除をはじめ,教育の中立性の確保に努めてきたところでございます。
ご指摘の全国集会が福山市で開催されることは承知しておりますが,公教育を担う県教育委員会といたしましては,これに参画することや学校施設を利用させることは,一切考えておりません。
また,福山市教育委員会におきましても,現在のところ,実行委員会に参加することや,所管する学校を利用させる予定はないと把握しております。
県教育委員会といたしましては,今後とも教育の中立性を確保し,県民に信頼される公教育の確立に努めて参ります。


5.【教育改革に向けた知事の認識について】

 質問の第四は、これからの教育改革に向けた知事の認識についてであります。
 本県の教育改革は、我が県議会においては自由民主党が一体となり、知事、さらには県民とともに県教育委員会を大きく支援してきたものであります。
 私は、藤田知事の四期十六年の中で、三期目までの知事の教育改革に対する熱意と英断、さらにはその行動力というものを大きく評価してまいりました。
 しかしながら、県教育委員会の方針に対峙する教職員組合が支持する者たちが知事の四期目を支持し、一部には「我々が作った知事である。」と公言してはばからない者もいると聞いております。
こうした現在の藤田知事を支える体制は、これまでの是正指導の取り組みに逆行するような環境を生み出し、これからの教育界に暗い影を落とす可能性を否定できないというよりは、もう既にその芽は発生しているのであります。
かつて、知事自ら先頭に立って教育改革を先導してきたという姿が翳んでしまうばかりではなく、途半ばで教育改革の後退を招くようなことがあれば、広島県教育は、二度と復活、再生の道はないのであります。
そういった意味で知事の責任はまことに重大で計り知れないものがあります。

 そこで、明日を拓く人づくりを第一に掲げておられる知事は、是正指導から十年を経て、本県教育の現状をどのように認識され、さらなる教育改革の推進にどのように取り組んでいかれようとしているのか、改めて知事の決意をお伺いいたします。


「県知事答弁」

未来に向けて,広島県が魅力的で元気であり続けるためには,活力ある人づくりが重要であり, その中で,教育の果たす役割は極めて大きいと考えております。
しかしながら,本県教育は,法令を逸脱し,教育の中立性を損なったとして,平成10年,当時の文部省から是正指導を受けるに至り,これまで,是正の徹底と教育改革に向けて,教育委員会とともに全力をあげて取り組んできたところでございます。
その結果,全体として,県民の負託に応える公教育の基盤が整い,「知・徳・体」すべての面で成果が出てきていると認識いたしております。
私といたしましては,今日の教育改革の流れをより確かなものとするため,平成21年度当初予算案においても「人づくり」に重点的に取り組むこととしており,新たな「教育県ひろしま」の創造に向けて,県を挙げて取り組む決意でございます。


6.【結び】
 
 我が県教育は、十年前、教育関係者、県議会、知事、そして様々な良識のある県民が荒廃した教育界を再生し、教育県広島の復活を掲げて立ち上がったのであります。
 今では、他の都道府県議会が、教育再生の実態調査に来られるようになるなど、広島県教育の正常化が、全国的に評価されるようになってきたのであります。
 広島には、広島高等師範学校を中心として、日本の教育をリードしてきた長い歴史があり、この度の教育改革の底流にあるものは、先人たちが永々と築いてこられた教育県広島の計り知れない伝統の力であります。
 この力が、心ある多くの優秀な教職員の魂を、今、覚醒させているのであります。
 教育者として崇高な使命を帯びた教職員一人ひとりが、県民の尊敬に値する教育者としてその力を発揮していただくことに大いなる期待を寄せるものであります。
 かつて、福沢諭吉は述べております。
 「政治上の失策は大きいが、それに気づいて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。しかし、教育の場合は、阿片のように全身に毒が回って表面に表れるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する。」
 本県の、これまでの教育改革の取り組み、そして今ある現実に、この福沢諭吉の言葉をかみ締めなければならないということを指摘し、私の質問を終わります。 ご清聴ありがとうございました。